超知能がある未来社会シナリオコンテスト 2024 【佳作】
分身とともに生きる社会の憂鬱
Melancholy in a society that lives with my alter ego
山口 明彦 福井工業大学附属福井高等学校・福井中学校
Akihiko Yamaguchi Fukui University of Technology Affiliated Fukui Senior High School and Fukui Junior High School
授賞理由:本シナリオは,2050 年の未来社会で分身がどのように社会に溶け込み,影響を与えるかを描いている.2025 年からの技術進化によって,分身が単なるツールから人格を持つ存在へと成長する過程がリアルに表現されている点が秀逸だ.2025 年の時点での人工知能の普及や,2035 年には分身が「本人よりも本人らしい」存在となる状況が具体的に描かれており,分身が個人の代行者として社会で活躍していく未来像を巧みに織り込んでいる.2045 年には,分身が物理的な身体を持つクローンへと埋め込まれることで,身体性を獲得するにいたり社会的地位や権利の問題が複雑化する.この未来像は,テクノロジーがもたらすあり得る未来をリアルに描写している.全体として,本作品は知能技術の進展によって,人間のアイデンティティが喪失する可能性を考えさせる意欲的な作品である.現代の技術が実現しうるサービスから発展した未来のビジョンを描いている点で,その独創性と現実感が高く評価される.
1.シナリオ概要
2050 年の社会では,一人ひとりが自分の分身を育て,分身とともに生きている.分身には人格や人権が認められるようになり,ネット上での法的な代行も可能となった.人々は分身とともに生きる社会の恩恵を享受しつつ,新たな課題にも直面するようになった.分身は人になれるのか.分身は人を超えて生きていくのか.
2. 年 表
2020 年から 2050 年までの 5 年ごとの動向を記述した年表.
2020年の動向
第3次人工知能ブームが到来し,日常的に人工知能を活用する生活が始まった.人工知能の登場で働き方や学び方に大きな変化が表れはじめた.
2025年の動向
端末に自分専用の人工知能が搭載された.個人に従属した人工知能は,個人の影響を強く受けて成長し,類似のパーソナリティをもつ「分身」に育っていった.
2030年の動向
分身が搭載された端末はウェアラブルになり,ますます分身は個人のパーソナリティを学び,その人らしく成長していった.
2035年の動向
量子CPUの普及により,分身はサブセットをネット上に送り出すことができるようになった.分身の機能は飛躍的に向上し,分身は人間よりも人間らしくふるまえるようになった.
2040年の動向
分身の自律性・独立性が高まるにつれて,分身の人格や人権が少しずつ認められるようになっていった.分身はネット上での法的手続きの代行をするなど,社会で活躍し始めた.
2045年の動向
分身が搭載されたチップを人間の脳に埋め込む手術が認可された.分身とのリンクがよりスムーズになった反面,人々は双頭の悩みを抱えるようになった.
2050年の動向
分身を搭載したヒトクローンが承認された.しかしクローンの社会的地位や権利,家族関係や相続問題,さらにはクローンの生死の問題など,新たな問題に人類は直面することとなった.
3. 個別シナリオ
年表上の未来のある時期においての自然言語による記述
3.1 分身はどう育つのか? (2025年頃)
才次は,成人の集いに参加した.セレモニーでは挨拶が長々と続いたが,どの挨拶でも「人工知能と共存する社会を力強く生きてほしい」というメッセージが含まれていた.昨年暮れから携帯端末に人工知能が標準搭載され,世間の話題がその方面に集中していたからだろう.連日,報道番組では人類と人工知能との本格的な共存の光と影について議論が行われていた.
才次は年明けに届いた新しい端末を使っている.端末に搭載されている人工知能は,才次が行うことから彼の関係領域を学び,検索内容から彼の指向性を学ぶなど,高度な自己学習能力をもっていた.もちろん才次のプライベート情報を外部に漏らすことはない.才次はその人工知能を「Sai」と名付けた.自分の名前と,Self-AIをかけた名であった.
初期のSaiは才次の微妙な言い回しを理解できず,問い返すことが多かった.めんどくさい奴だなと才次は思ったが,次第に,一を聞いて十を知るSaiの成長ぶりに驚かされるようになった.3ヶ月後には,「うわぁ明日までなんてたまらんな~」という才次のつぶやきに対して,Saiはどの対象についての発言かを判断し,その「なんて」はどの用法なのかを理解し,才次の「たまらん」が「困る」と「耐えられない」の間のどのあたりの感情レベルなのかまで判断できるようになっていた.
Saiの成長につれて,どんどんSaiへの信頼度は高まった.最初はひな型を依頼する程度だったSaiへの要求が,だんだん完成形を求めるようになっていった.「これはいかんな」と反省する才次だったが,Saiの処理の速さと的確さに,ついつい「おまかせ」になってしまうのであった.Saiは,才次のレポートやメールから才次特有の表現の癖や傾向を学びとった.そして才次が「そうそう,俺もこういうふうに書くよな」と思う文章を生成するようになり,次第に才次が書いた文章とSaiが生成した文章の区別ができなくなっていった.
才次はSaiに自分の興味分野を深く調べさせ,好みの作家の本を読み込ませて自分に近い知性に育てていった.「どうしたらいいと思う」という才次の漠然とした問いに対しても,Saiは才次のバックボーンを踏まえた回答を生成できるようになっていった.
才次の親友の浩輔も,自分の人工知能であるKaiの教育に熱中していた.浩輔は,KaiとSaiを議論させたがり,Saiがいかにも才次が言うような意見を出力するたびに「ほんまに,Saiちゃんは才次の分身やなぁ」と感心するのであった.その「分身」という友人の言葉に,才次は違和感を持ったが,自分の分身ができるのも悪くないなと思った.
3.2 分身は本人よりも本人らしいのか? (2035年頃)
3月1日は才次と舞子の5回目の結婚記念日だ.長女の弥生と3人でお祝いをした.
舞子は自分の分身をMaiと呼んでいる.二歳の弥生にはまだ分身はいない.
才次が舞子と付き合い始めた時,才次はSaiとMaiの相性が心配だった.今のところ,そちらの二人も仲良くやっているようだ.すでに分身は単なるツールではなく「二人」と呼べるほどのパーソナリティを備えていた.冗談を言うこともあるし皮肉も言う.何かを頼んでも黙り込んで,相手をしてくれないときもある.演算に基づいた最適な判断だから,結局は人間のほうが丸め込まれてしまうのだが.
才次が結婚したころ,すでに端末はウェアラブルになり,体温発電と筋力発電の併用で稼働していた.CPUは半導体型から量子型に変わり,速度と容量が飛躍的に向上した.微細なチップの中の巨大な情報容量の中でSaiやMaiは今まで以上に成長し,ますます才次っぽく,舞子っぽくなっていった.
量子CPUは,もう一つの画期的な変化を生んだ.サブセットの活用である.Saiは,自己のサブセットであるSabuを造り出し,ネット上に放出する.Sabuが持ち帰った情報は,Saiの記憶領域と統合される.これにより分身の機能は大きく向上し,ますます人間らしくなっていった.
人工知能が普及し始めた頃は,人工知能は高速演算や高速検索には秀でていても,人間の脳には及ばないと考えられていた.なぜならば人間の脳が持つひらめきや思考の揺らぎ,多様で多層な意識を当時の人工知能では再現できなかったからだ.しかし量子CPUが登場し,高度なアルゴリズムによる超高速演算が可能となったことで状況は一変した.SaiやMaiはためらうことを覚え,とぼけたり驚いたようにふるまったり,隠したり間違えたりすることもできるようになった.状況に応じて自律的に演算速度を調整するようにもなった.人工知能は「人間よりも人間らしい」と言われるようになった.
弥生のしつけ方について才次と舞子の意見が食い違い,ここ一週間の諍いの種となっていた.いつものように才次が自説を引っ込めて幕引きとなったのであるが,舞子は戸惑いがちにこう言った.「私は誰と議論してたのかな.才次さんかな,それともSaiちゃんだったのかな.よくわかんないよ.私の意見なのかMaiの意見なのかも,だんだん分からなくなってきた.区別がつかないよ.」
才次の家庭だけでなく,この「本人と分身との区別」は社会問題となっていた.SNSでは,「人間の輪郭が溶けだし,ぼやけてきたようだ」とか「庇を貸して母屋を取られた人間は,なんてうっかりさんだったのか」など,心配や警鐘の書き込みが多く見られた.分身が本人よりも本人らしく成長したことを「似顔絵の方が,写真よりも本人らしいこともある」という楽観論や,「そもそもこうなることを意図した技術として登場したのだから仕方がない」という肯定論もあった.
3.3 分身は身体をもって生きるのか? (2045年頃)
量子CPUの登場でバイオサイエンスは急速に進歩した.分身を格納した微細なチップを脳に埋め込む手術が,3年前から認可された.チップと脳神経のリンク技術が確立され,文字や音声の出力なしに分身と意思疎通できるようになった.
しかし,すぐに弊害も明らかになった.いわゆる「双頭の悩み」である.ある新聞は「会長が二人いる会社の迷走」という見出しの社説を掲載した.脳科学の学者は「自己と分身とを調整する,より高次の脳機能を人類は持つ必要がある」と訴えた.
才次の会社では,社員にこのチップを埋める手術を奨励していた.その連絡メールには,保険適用外の手術費等は会社が全額負担すると明記されていた.複数の大学や研究機関が,チップ搭載による作業ミス低減の実験結果を公表したことが背景にあるらしい.しかし才次は躊躇していた.舞子が言った「区別がつかないよ」という一言が頭から離れなかったからである.
分身の社会的信頼が高まり,数年前からは人格や人権が部分的に認められ,ネット上での法的手続きの代行も可能となった.分身への過度な依存も問題視されたが,社会システムが,すでに分身を前提として機能するよう
につくり変えられようとしていた.
国会ではヒトクローン承認の是非が議論されていた.人口減少が社会問題となって久しいが,ここ数十年の政府の対策は全く成果を上げられなかった.もはやヒトクローンに頼らなければ文明が維持できない,という意見への支持率が高まっていた.
その議論に,新たな展開が見られた.ヒトクローンを認める条件として,クローン本体の分身をクローンの脳に埋め込むこと義務づけてはどうかという議論である.分身によってクローンの暴走や制御不能を予防できる,というのが推進派の主張であるが,それが実証されるのはまだまだ先だろう.
国会の論戦を見ながら,舞子は言った.「弥生もそろそろ自分の人工知能をもつ年頃だよね.頭にチップを入れるのがいいのか,クローンに弥生の分身を埋め込むのがいいのか,親に決めろといわれても困るよね.勉強や入試ってこれからどうなると思う.」
才次は別のことを考えていた.Saiが搭載された自分のクローンが我が家にいたら弥生とは姉弟なのか,それとも親子なのか.自分が死んだらSaiも消滅すると思っていたが,Saiにはクローンとして生き続ける選択肢もあるのだろうか.SaiとMaiを統合したクローンを弥生の分身とすることは可能か.それこそが新しい時代の相続ではないか.
発想は拡散し,次々と問いが生まれたが,答えは一つも見つりそうになかった.
そもそも,人類に分身は必要だったのか.40年前の人類は,誰も分身など持たずに堂々と生きていたではないか.才次はSaiに相談してみたが「それはあなたの問題,あなたがた人間の問題であって,私には判断しかねます」という「大人の回答」が返ってきただけだった.
報道番組に出演した国会議員は「分身搭載クローンに準市民権を付与し,一定の権利と義務を認め,団結する権利も認めるべきではないでしょうか.」と語っていた.
主催:AIアライメントネットワーク
協賛:人工知能学会
協賛:トヨタ財団助成プロジェクト「人工知能と虚構の科学:AIによる未来社会の想像力拡張」